10,11,12月の日記に戻る

 以前、己高山から谷口に下山する時、初めてこの神社を見た。「うわぁ、何でこんな立派な神社が山の中に有るんだ。」

 と、まあ、実はもう少し先へ行くと村があるのだが、その時はまったく山の中だと思っていたので、びっくりした。
 祭神は、ネットで引くと、「三輪大神」とか「薬師如来」とか書いてあってよく分からない。

 典型的本地垂迹説の神社である、との解説もある。
 三輪神社から林道を少し入ったところに「爪書き地蔵」がある。

 「爪かき地蔵」は全国にいくつかあって、共通しているのは、何とか大師が爪で石にお地蔵様を彫った、という事だ。

 ここの爪書き地蔵は行基が己高山に参る途中、ここで彫ったとされている。
 さて、一度家に帰って昼飯を食ってから戻ってくる。

 今度は、先日下見をしておいた北野から浄心平コースを登る。

 北野の墓地の横を通って、こじき坂の峠から尾根道に乗る。

 しばらく行くと「万華坂」と書いた案内板が壊れている。
 20分程でこんな案内があるが、「本宮の岩屋」は帰りに寄るとして、とりあえず小谷城へ。
 さらに10分程で浄心平につく。

 この前、上山田から登った時にここを通過したので、今日はここを終点とする。

 写真左が小谷城跡、右が上山田方面。
 帰りは先ほどの分岐を本宮の岩屋方面へ進む。

 道は良く整備されていたのだが、岩屋の近くまで来ると草が茂って見通せないし、道は崩れて途切れているし、まるで結界があるようだ。

 が、かまわずに押し渡ると、岩屋の前に出る。
 岩屋は巨大な花崗岩の塊だ。露出部分は10m四方くらいだと思うが、奥行きは分からない。

 御幣のかけられた狭い割れ目があって、奥に空洞が有るのだそうだ。

 やせ形の私でも通れそうな気がしない狭さだ。試してみて、もし出られなくなったらまずいので、入り口からのぞくだけにしておく。
 案内板によれば、曽我氏との争いに敗れた物部守屋がここに隠れたのだそうだ。

 ←この写真では分かりにくいが、岩の表面がおかしな具合に浸食されている。

 おそらく元は地下水路の一部で、全体が崩れて地表に出てきたのだろう。

 地下に大空洞が有って、浅井長政の軍資金が隠してあったりしないかな、とか思いながら下山する。
 ここまで降りてきてしまうと、登り返すのも面倒なので、そのまま池奥へ降りる。

 伏流しているのか、地下水脈になっているのか、谷筋はほとんど枯れている。

 わき水があったが、水酸化鉄で茶色のドロドロだ。このあたりで鉄が産出したらしいというのも納得できる。
 池奥からこじき坂への道も墓の横にある。

 結局、いくつかの尾根をまわって、北野の墓地に帰ることになる。

 さて、これで小谷城へ登る主な道はほとんど登り尽くしたはずだ。もう一本、大嶽(おおづく)から山田に降りる道があるが、もういいかな。