都会の喪失   2014.010/3


・考え事にもどる

   

 かつて都会(とりわけ東京)は、「夢の都」だった。キラキラしていた。(一部の人間は)そこで夢をかなえて、故郷に錦を飾る。多くは田舎で地味で堅実な一生を送る。

 「かつて」というのはバブルまでの事だろうか。今では、とりたてて都会に夢が有るわけでもないが、何となく人口が流入している。

 ところが都会は何事につけても、金がかかる。子供を育てるのも容易ではない。それで、都会の人口の再生産率は田舎よりかなり低い。つまり、子供が生まれる数が少なく、流入した人口はそのまま高齢化して、そこで死んでいく。

 まさに、人材のブラックホールだ。地方から人材を吸い上げて、本の一握りしか有効に活用できず、無駄に使い捨てにする。

 結局、(日本の)都会はその機能を失って、単に、大企業の本社やグルメな店が有るだけの、巨大な田舎になってしまった。

 (おそらく、)発展途上国の大都会はそうではない。今もキラキラして、若者を引きつけているのだろう。

 拡大のフェーズから、定常のフェーズを経て、縮小のフェーズに入った日本では、「再生産率」をいかに保つかが最重要課題だ。

 それには、田舎を、「地味で堅実な人生を送れる」そして、「故郷に錦を飾れる」場所にして、人口の再生産の場所を維持することだ。

 都会では人口の再生産ができないことを忘れてはならない。都会はキラキラした夢を追う若者が集まり、功成り名を遂げて、(何らかの形で)去っていく場所だ。