何のための憲法か   2015.4/17


・考え事にもどる

   
 「法治国家」というのは法によって、国家の運営が定められている国家だ。中国や北朝鮮でも法治国家だ。(かつて中国では、「法治国家になろう」というようなスローガンの運動があったらしい。)

 たとえ独裁者でも、「一応」法律に従っている体裁になっていれば、法治国家だ。まあ、独裁者の場合、好きな法律を作ることが出来るので、体裁だけの問題だが。

 もちろん、日本は「法治国家」だ。


 さて、最近の国々の多くがそうであるように、日本も「民主主義」だ。民主主義というのは、その国の国民の「一部ではなく、全員で物事を決定する」システムだ。選挙権の無い「未成年」が決定に参加していないのは、どう解釈するのか、ちょっと疑問が残る。

 しかし、いちいち全部の物事を全国民で相談するのは無理だから、原理原則を「法律」という形にして、個々の問題は法律に従って処理する。

 即ち、日本は「民主主義」の「法治国家」だ。


 と言っても、必要な法律は沢山有る。それを全員で相談してつくるのは大変だ。そこで、法律を作る専門家にまかせることにする。

 専門家は選挙で選ぶ。専門家たちは相談して法律を作る。そこが立法府(日本では「国会」という。)だ。専門家を国会議員という。

 即ち、日本は「代議制」の「民主主義」の「法治国家」だ。


 ここで問題が生ずる。もし、選ばれた国会議員が私利私欲のために、自分に都合の良い法律を作って、国全体を勝手にしたらまずい。

 そうでなくても、法律を作る度に一から考えていたのでは何かと大変だ。

 そこで、法律を作る際に、絶対に守らなければならないルールを作る。それが憲法だ。


 憲法には、他にも国会議員の選び方や、議会の運営方法も書いてある。国会議員が暴走しないように監視する体制、即ち「三権分立」のことなどが書いてある。

 三権分立というのは、本来国会議員が全部やるべき仕事を「立法」「司法」「行政」の3つに分けて、互いに監視しあう仕組みだ。

 例えば、「議会が作った法律が憲法に反していないか」を判断するのは司法の仕事だ。当然、憲法のある条文がどういう意味か、を解釈するのも司法の仕事だ。

 集団的自衛権について、憲法の解釈を閣議で決めるなどは以ての外の暴挙だ。

 実際には、日本の司法は憲法の条文を解釈するのが怖いらしくて、基本的に避けて通っているので、内閣ばかり責めるわけにもいかないが。


 まあ、元々は全部議員がやるはずのことを3つに分けたので、三権の内で立法が優勢になるのはやむを得ないと言えばやむを得ない。特に日本は議院内閣制なので、余計にそういうことになる。


 ともかく、憲法というのは第一に国会議員を縛るためのものだということだ。それを、あたかも国民全体の問題のように言いくるめて、「押しつけられた憲法なんていやでしょ。変えてしまいましょうよ。」とか、変な猫なで声を出されると、ゾッとする。

 憲法に書いてあることがダメなのなら、ウソやごまかしはやめて、正々堂々と改憲してもらいたい。特に、96条を先にいじってから、他の部分を改正しようなどとは、全く卑怯としか言いようもない。